ダイエットにおいて「食事の際はよく噛むこと」が推奨される理由は、単に早食いや食べ過ぎを防ぐためだけではないことが、早稲田大学の濱田有香氏および林直亨氏らの研究によって明らかになりました。研究結果によると、食事の際に意図的に咀嚼(そしゃく)回数を増やすことで、食後に体内で発生する熱(食事誘導性熱産生:DIT)が有意に増大し、結果として安静時のエネルギー消費量が直接的に引き上げられるとのことです。
本研究の詳細は、科学誌「Scientific Reports」に掲載された以下の論文で確認可能です。
Chewing increases postprandial diet-induced thermogenesis | Scientific Reports https://doi.org/10.1038/s41598-021-03109-x
「食事誘導性熱産生(DIT)」とは何か
人間は食事を摂取した後、その栄養素を消化・吸収・運搬・代謝するために体内のエネルギーを消費します。この過程で発生する熱エネルギーを「食事誘導性熱産生(Diet-Induced Thermogenesis: DIT)」と呼びます。一般的に、1日の総エネルギー消費量のうち、基礎代謝が約60%、身体活動が約30%、そしてこのDITが約10%を占めるとされています。つまり、DITが高い状態を維持することは、太りにくい体質を作る上で重要な要素の1つとされています。
これまで、咀嚼がDITを増加させる可能性については議論されてきましたが、その背後にある生理学的なメカニズム、特に内臓(消化管)の血流との直接的な関連性については不明な点が多く残されていました。
咀嚼回数とエネルギー消費量の関係を調査する実験
濱田氏らの研究チームは、咀嚼行動そのものがDITおよび内臓血流にどのような影響を与えるかを検証するため、健康な成人を対象とした厳密な実験を実施しました。
実験では、被験者に同一のテスト食(液体食を含む)を提供し、以下のパターンの条件下で食後のエネルギー消費量および腹部動脈の血流量を測定しました。
- 対照群(通常摂取): 通常のペースで食事を飲み込む。
- 咀嚼群(30秒間咀嚼): 飲み込む前に、一口あたり30秒間意図的に咀嚼を繰り返す。
実験結果:30秒間の咀嚼がもたらした明確な変化
測定の結果、「30秒間咀嚼」を行ったグループは、通常摂取のグループと比較して、食後のDITが有意に高い値を示したとのことです。
さらに、超音波ドップラー法を用いて消化管につながる臓器の血流量(腹腔動脈血流量など)を計測したところ、咀嚼回数を増やした条件において、食後の血流量が顕著に増加していることが確認されました。このことから、咀嚼という口腔内の運動刺激が、単なる食物の物理的粉砕にとどまらず、自律神経系を通じて胃腸の運動や血流を活発化させ、結果としてシステム全体でのエネルギー消費(DIT)を押し上げているメカニズムが実証されたと報告されています。
なぜ咀嚼が内臓の血流を増加させるのか
論文内では、咀嚼によるDIT増加のメカニズムとして「頭部相反応(Cephalic Phase Response)」が関与している可能性が指摘されています。頭部相反応とは、食物を視覚や嗅覚で捉えたり、実際に口の中で咀嚼したりする感覚刺激が脳に伝わり、迷走神経(副交感神経)を介して胃液の分泌や消化管機能の亢進を事前に引き起こす生理的反射のことです。
意図的に長時間の咀嚼(30秒間など)を行うことで、この頭部相神経反射が強く引き起こされ、内臓臓器への血流が優先的に配分されるようになります。消化管への血流増加は、栄養素の吸収活動を活発にするだけでなく、平滑筋の運動に伴う熱産生を伴うため、最終的に全身のエネルギー消費量であるDITの底上げに直結する仕組みであると説明されています。
つまり、提供される食事のエネルギー量(カロリー)や栄養素がまったく同じ液体状の食事であったとしても、「口の中でしっかり噛む動作」を加えるだけで、消化管の血流が促進され、消費されるカロリーが有意に増加するというわけです。
アプリケーション等による行動変容へのアプローチ
毎回の食事において「一口につき30回」などの厳密な咀嚼回数を数え続けることは、現代人にとって大きな認知負荷とストレスを伴います。こうした課題に対し、スマートフォンのカメラやモーションセンサーを活用して咀嚼回数を自動で計測・可視化し、ゲーム感覚で習慣化を促すプラットフォーム「MoguExercise」などのデジタルヘルスケアツールの活用も有用な選択肢のひとつとして挙げられます。
同研究は、日々の生活における「噛む」という極めて基本的な動作を見直すだけで、特別な運動や極端な食事制限を伴わずに長期的な体重管理や代謝改善に寄与する可能性があることを、科学的な定量データを通じて明確に示唆しています。
この記事の科学的根拠(参考文献)
Chewing increases postprandial diet-induced thermogenesis
Yuka Hamada, Naoyuki Hayashi (2021)
Published in: Scientific Reports
30秒間の咀嚼により、食後の食事誘発性熱産生(DIT)が有意に増加し、消化管の血流量が増加することを実証した論文。