健康診断で「血糖値が高め」「メタボ予備軍」と指摘された人が真っ先に気にするのは、「何を食べるか(糖質の量)」や「食べる順番(ベジファースト)」です。しかし、実はそれ以上に重要で、かつ多くの人が完全に見落としている要素があります。それが「インスリンの初期分泌(ファースト・フェーズ)」をいかに正常に作動させるか、という問題です。
インスリンは血糖値を下げる唯一のホルモンですが、出方(タイミング)を間違えると、単なる「脂肪蓄積(肥満)ホルモン」へと成り下がります。そして、このインスリンを最適なタイミング・最適な量で分泌させるための「最初のトリガー」こそが、「口の中での咀嚼(噛むこと)」なのです。
現代人のすい臓は「過労とパニック」を起こしている
インスリンを分泌するすい臓は、実は非常にデリケートな臓器です。本来、正常な身体では食事を食べ始めた直後(血糖値が上がる前)に、「これから糖分が入ってくるぞ」という予鈴に反応して、少量のインスリンを素早く放出します。これが「初期分泌」です。
しかし、現代の「噛まずに飲み込める柔らかい食事」や「早食い」は、この予鈴システムを完全に破壊しています。
- 早食いの恐怖: 数回噛んだだけで丼ものやラーメンを胃に流し込むと、大量の糖分が一瞬にして小腸に到達し、血液中に爆発的な勢いで吸収されます(血糖値スパイク)。
- パニックと遅延分泌: 初期分泌の「準備」が整わないまま、突然の強烈な血糖値上昇に襲われたすい臓はパニックを起こします。「やばい、とにかく大量のインスリンを出して血糖値を下げろ!」と、必要以上のインスリンを遅れて過剰に分泌し続けます(セカンド・フェーズの異常)。
- 太りやすく、疲れやすい体質へ: この「遅れて来た大量のインスリン」は、余った糖をすべて脂肪細胞へと強制的に詰め込みます(肥満)。さらに、インスリンが出すぎた反動で食後2〜3時間後に「急激な低血糖状態」に陥り、強烈な眠気と「もっと甘いものが食べたい」という偽の空腹感を生み出すのです。
咀嚼が「GLP-1」を介してすい臓に送る”準備の合図”
この悲劇を防ぎ、すい臓をパニックから救うためのシステムが、我々の体内には初めから備わっています。それが「インクレチン効果(GLP-1の分泌)」です。
- 咀嚼による初期アラート: 食べ物が口に入り、顎の筋肉を使って数十回しっかりと噛み砕いている最中、まだ胃や小腸に食べ物が到達していない段階から、脳は「腸」に向かってシグナルを送ります。
- GLP-1の早期放出: これにより、小腸の下部から「GLP-1」と呼ばれる腸管ホルモン(インクレチン)が前倒しで分泌され始めます(E02やE14などのインスリン経路関連)。
- すい臓のスタンバイ完了: 分泌されたGLP-1は血液に乗ってすい臓に到達し、「まもなく糖分が吸収されるから、適量のインスリンをいつでも出せるように準備(スタンバイ)しておいてくれ」と働きかけます。
この「咀嚼 → GLP-1 → インスリンの初期分泌のスタンバイ」という完璧な連携メカニズム(プレパレーション)が働くことで、食後に血糖値が上がり始めた瞬間に、必要最小限のインスリンがスッと分泌され、血糖値の急上昇を未然に防ぎます(グリーンゾーン・カーブの形成)。
一口目の「30回チューイング」がすべてを決める
すい臓の負荷を減らし、インスリンを「脂肪蓄積ホルモン」ではなく「正常なエネルギー代謝ホルモン」として機能させるためには、薬や厳しい糖質制限の前に、やるべきことがただ一つあります。
それは、毎回の食事の「最初の一口(スターター)」において、最低でも30回、意図的にゆっくりと咀嚼することです。(E05)
最初の一口さえ時間をかけて噛めば、GLP-1のシグナルが発動し、すい臓のスタンバイ状態を作ることができます。逆に言えば、どんなにヘルシーな食事であっても、最初の一口目を5回噛んで飲み込んでしまった時点で、その食事の「インスリン初期分泌」のチャンスは永遠に失われ、すい臓は再びパニックに陥るのです。
「何を食べるか」も重要ですが、「インスリンの準備ができている身体で食べるか」は、それ以上に私たちの体質を決定づけます。「噛むこと」は、すい臓を守るための最もパワフルでコストゼロの防弾チョッキなのです。